こんにちは、歴史大好き人間のIsajiです。
数十年前に仕事の関係で名古屋の「丸の内」に行くことが結構有りました。また、東京に行った時にも電車に乗ると「丸の内」という言葉を見聞きしてました。
その時に「丸の内は名古屋だけの地名じゃないんだ!?どんな由来が有るんだろう?」
と当時から大変疑問に思っていたんですよね。
そこで今回は思い切って丸の内の由来についてリサーチしてみることにしました。
その結果丸の内について地名の由来以外にも興味深い発見をしましたよ!
では、先ずは丸の内の地名の由来から紐解いていきますね。
丸の内の地名の由来とは
さて先ずはいきなりですが、結論から言いますね。丸の内という地名の由来は何かと言うと・・・
- 塀で囲まれた内側
これが由来の大筋だと言われています。
では、もうちょこっとだけ詳しく見て行きましょう。
城内の建物を「本丸」とか「二の丸」と呼ぶように「丸」とは城の建物を現しています。大河ドラマで有名になった「真田丸」の丸も城の意味ですよね。
ですから「丸の内」は城の建物が有る堀の内側、という意味になるのです。
元々江戸時代には「御曲輪内(おくるわうち)」と呼ばれていました。
因みに曲輪とは城壁で囲われた区画のことをいいます。この地には幕府を守る為の武家屋敷が建ち並んでいました。
千代田区の「丸の内」という町名は1929年(昭和4年)に初めて付けられました。
丸の内ってどんなとこ?明治維新以降の様子も知っておこう!
- 大草原だったのを岩崎弥太郎が買収し開発していった
明治時代になり江戸城が天皇の皇居となると丸の内に屋敷を構えていた大名達は次々と国元へと帰って行きました。
その後丸の内一帯の大名屋敷は取り壊され大草原になっていったそうです。今では信じられないですよね。
明治政府はこの地の開発を様々な企業に打診するもののなかなか買手は現れなかったと言います。
その後造船と海運が好調だった岩崎弥太郎の三菱が、明治23年(1890年)に分割払いで購入し、明治27年の東京府庁舎の完成を皮切りに次々とビルが建つ様になり現在のようなオフィス街へと発展していきました。
およそ130年前の丸の内は大草原だったなんて信じられますか?想像も出来ませんよね。
こうして発展していった東京の丸の内ですが、城の堀の内側と言う意味ですから東京だけではなく全国各地に有ります。
全国各地の丸の内まとめ
- 全国に37の丸の内が有りました
今回のリサーチで日本全国に37の丸の内と呼ばれる地名が存在することが分かりました。
その主なものを御紹介します。
- 秋田県 大仙市 大曲丸の内町
- 石川県 金沢市 丸の内
- 岐阜県 大垣市 丸の内
- 愛知県 名古屋市中区 丸の内
- 広島県 福山市 丸之内
- 高知県 高知市 丸ノ内
- 大分県 日田市 丸の内町
まだまだあります!徳川家由来の地名たち
江戸時代の徳川に由来する地名や地域名は気にしてみると意外と有るんですよ。
以下にその主な物を御紹介します。
- 御茶ノ水(千代田区神田駿河台)
2代将軍秀忠公がお茶をたてるための水にこの地の寺の湧き水を利用したのが由来
御茶ノ水の由来に関する記事はこちらになります。
御茶ノ水の由来を知ろう! 地名に隠された歴史とは? - 半蔵門(東京都千代田区)
服部半蔵の屋敷がこの門の近くに有った事が由来
半蔵門の地名の由来に関してはこちらを御覧下さい。
半蔵門の由来は象?地名に残された江戸の歴史とはっ! - 東京(東京都)
京都の公家に配慮した地名で「東の都」という意味
詳しくはココを御覧下さい↓
東京の由来は? 地名のルーツを知れば歴史の真実が見えてくる!
まとめ
今回は丸の内の地名の由来についてみてきました。ではおさらいしてみますね。
- 丸の内とは城の堀で囲まれた内側の意味
- 明治以降、三菱が買い取って開発し今の様なオフィス街になった
- 全国におよそ37の「丸の内」が有る
- 徳川に由来する地名はまだまだ有る
地名の由来って本当に楽しいですよね。
今回の丸の内はいかがでしたか?
まさか今のオフィス街が明治初期には大草原だったなんてメッチャ意外でしたネw
以上、最後まで御覧頂き有難う御座いました。
別の記事でまたお会いしましょう(^^)/