最近は東京にはめっきり行かなくなりましたが先日とある明治維新を扱った歴史番組を観ていまして歴史大好き人間の私はじっとして居られなくなり、今回はズバリ!東京のルーツを探ってみました。
すると大久保利通の苦労話しや当時の江戸庶民の天皇をお迎えする気持ち等が見えてきました。
知ってるようで意外と知らない東京都という名前のルーツをめぐる旅に一緒に出掛けましょう!
東京の地名の由来とは
さていきなりですが、東京という言葉の由来はというと・・・
これだけのことなんですね(笑)
ではここからもっと歴史的背景について深く紐解いてみましょう。
「東京」という言葉自体が初めて登場するのは江戸時代後期の農政学者である佐藤信淵(さとう のぶひろ)(1769-1850)が1823年に著した「混同秘策」です。
佐藤信淵はこの中で「日本が世界に進出するためには江戸を東京、大阪を西京とし、京都と合わせて三京にすべし」と説いています。
この影響を受けた大久保利通が1867年に江戸を「東京」と改め、天皇の行幸により遷都が行われました。
東京遷都の最初は天皇の旅行から?
首都、つまり都(みやこ)が京都からどのようにして東京に移ったのか、今回はここについても解説しましょう。
- 1868年9月 江戸を東京に改称
- 1868年11月 1回目の東幸
- 1869年5月 2回目の東幸→これにより名実共に首都となる
以上、遷都までの簡単な流れです。
では、これをちょっと詳しく見て行きましょう。
1868年9月3日、明治天皇が江戸を東京と称する旨を現す詔書を発し、江戸を東京とすることを宣言しました。
その年の11月に1回目の東幸が行われ江戸城に入城してこれを東京城と改めます。
この最初の東幸はそれまで天皇になじみが無かった江戸庶民へ天皇を身近に感じさせ、将軍に代わる新たな支配者であることを知らしめる為のデモンストレーションの意味が有りました。
更に、天皇が江戸へ行き、江戸が都となることに猛反発していた京の公家達に「天皇はちょっと旅行に行かれるだけですから」と天皇を連れ出す為の口実でも有りました。
そしてその翌月の12月17日には、天皇から東京市の住民に酒が下し置かれました。これを天杯頂戴と言います。
これにより東京市の住民は12月19日・20日の両日を天皇の引っ越し記念ということで仕事を休み、お祭り騒ぎをして祝ったそうです。w
その後一旦京都へ戻った天皇は、1869年5月9日に改めて東京に入りました。これにより東京が事実上の日本の首都になったのです。
こうしてみると明治新政府も結構苦労したんですね。
特に京の公家さん達を納得させるのは大変だったみたいですね。
東京府から東京都へ!
東京都は始めは「東京府」でした。知ってました?
元々今の大阪府と大阪市のように東京府と東京市が存在していたんですね。昭和18年に東京府と東京市が統合されて東京都になったんですよ!
東京市の方が税収が多く、財政が豊かだったんですね。そこで東京府は税金をすべて統括する為に東京市と統合したんだそうです。
その東京市の領域が現在の特別区である東京23区なんですよ。
東京都の発足当初は今の都と違って国の機関の一部でした。トップは住民の直接選挙で選ばれる今の都知事と違い、官吏(今の国家公務員)の都長官が勤めました。
まだまだ有る!江戸に由来する東京の地名たち
東京には江戸時代にルーツを持つ地名が今も残されていますが、ここでそのいくつかを御紹介しますネ。
- 丸の内(東京都千代田区丸の内)
城の内側という意味
詳しい情報はこちら↓
丸の内の地名の由来は?全国の丸の内の肝はココに有った! - 御茶ノ水(千代田区神田駿河台)
2代将軍秀忠公がお茶をたてるための水にこの地の寺の湧き水を利用したのが由来
詳細はこちらを御覧下さい。↓
御茶ノ水の由来を知ろう! 地名に隠された歴史とは? - 半蔵門(東京都千代田区)
服部半蔵の屋敷がこの門の近くに有った事が由来
詳しい記事はこちらに有ります↓
半蔵門の由来は象?地名に残された江戸の歴史とはっ!
まとめ
東京都って成立までに紆余曲折有ったんですね。大阪都も全く同じような過程を辿っている気がしてきました。
では今回分かった事をまとめてみますね。
- 東京都と言う言葉は江戸時代に佐藤信淵(さとう のぶひろ)が唱えたことに由来する
- 2回の東幸を経て遷都が完了した
- 東京府+東京市=東京都
- 江戸時代にルーツを持つ東京の地名は他にもたくさん有ります。
以上、最後まで御覧頂き有難う御座いました。
私の別の記事も是非お楽しみください。