大昔の事ですが江戸東京博物館に行った時に両国国技館の横を通ったんですよ。
その時から気になっていたのが「両国って地名の由来は?なんで両国に相撲の聖地が有るの?」って思ってたんですよね。
この記事を書いている今もまさに相撲をテレビで観ていまして、当時の事を思い出したので今回は両国についてリサーチしてみました。
意外な事実も発見出来ましたので今回も自信を持ってお届けしますヨ!
では早速見て行きましょう!
両国の地名の由来は単純だった!
さていきなりですが、両国という地名の由来はというと・・・
意外にもそのまんまでしたね^^
ではチョット詳しく歴史を紐解いていきますね。
両国と言えば両国橋ですよね。両国橋は隅田川にかかっています。
隅田川は昔から下総国と武蔵国の国境でした。隅田川の西側一帯を武蔵国、東側一帯を下総国と言います。
そして両方の国をまたぐ形で両国橋がかけられた。これが両国の名称の由来です。
江戸時代初期には隅田川の西側を両国と言っていました。その後隅田川の西側は日本橋両国→東日本橋と呼び方が変化していきました。
一方隅田川の東側は元々は向両国(むこうりょうごく)と言っていました。その後本所東両国→両国と変遷していきました。
つまり呼称としては元々は隅田川の西岸に有った両国が東岸へと移動した形となったんですね。
ところで、両国と言えば国技館が有名ですよね。
そこで次に両国国技館についてもリサーチしましたので是非御覧下さい。
両国に何故国技館?
答えは・・・、
ということなんですね。
1657年に起きた明暦の大火後の1658‐61に隅田川の最初の橋として両国橋は架けられました
両国橋の東には明暦の大火後に回向(えこう)院が建てられました。そして回向院の境内で勧進相撲が行われるようになりました。
その後時は流れて1985年に今の地に国技館が建てられたのだそうです。
相撲1300年の歴史について詳しく知りたい方はこちらの記事を御覧下さい。
隅田川花火大会の発祥は両国花火大会だった!
毎年テレビ中継も行われる「隅田川花火大会」ですがそのルーツは両国花火大会なんですね。
ではここで両国花火大会の歴史を簡単に紐解いてみましょう。両国花火大会のルーツは、
ってことなんですね!あの「暴れん坊将軍」ですよ。
1732年(享保17年)に起きた歴史的事実をきっかけに、また川開きも同時に行うために両国で花火を打ち上げさせたのが始まりだとされています。
1733年(享保18年)5月のことでした。
その後、何度か中断が有ったものの、現在まで続く日本で最も歴史の長い花火大会なのだそうですよ。
現在の「隅田川花火大会」となったのは1978年(昭和53年)に15年ぶりに復活した時だそうです。
そうなんですね!当時小学生でしたが全く知らなかった^^;
まだまだ有る!江戸に由来する東京の地名だち
今回リサーチした両国以外にも江戸時代の地名に由来する東京の地名って結構有りますよね。
今回はその中からいくつか御紹介しますね。
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東京(日本の首都東京都)
東の都(みやこ)の意味
詳しくはこちら↓
東京の由来は? 地名のルーツを知れば歴史の真実が見えてくる! - 丸の内(千代田区丸の内)
城壁で囲まれた敷地の内側の意味
詳細はココから↓
丸の内の地名の由来は?全国の丸の内の肝はココに有った! - 半蔵門(千代田区麹町)
服部半蔵が護衛した門が由来とされている
意外な説も?詳細はココから↓
半蔵門の由来は象?地名に残された江戸の歴史とはっ! - 御茶ノ水(東京都千代田区)
徳川家でお茶をたてるための水が献上された地
詳しい情報はコチラを御覧下さい↓
https://jouhou-kan.net/archives/512 - 銭取(静岡県浜松市)
三方ヶ原の戦いで敗走する徳川家康公が食い逃げした小豆餅の代金をこの地で支払ったという由来がある。 - 駿河台(東京都千代田区神田)
徳川家康公没後、家康公付きだった直参旗本達(駿河衆)が住んでいたのが由来
まとめ
今回は両国の地名の由来をリサーチしてみましたがいかがでしたか?
最後にサクサクッとまとめてみますね。
- 両国とは武蔵国と下総国の両国にまたがっているところからきている
- 両国に国技館が出来たのは回向院の境内で行われていた勧進相撲がルーツ
- 隅田川の花火大会の起源は両国花火大会
両国って地名は単純だけど歴史的には意外と奥が深かったですね。
以上、最後まで御覧頂き有難う御座いました。
私の別記事も是非御覧頂けると有難いですw。