こんにちは、Isajiです。
みなさんは車の運転をされますか?普段、当たり前のように左側通行で運転していますよねぇ。
ところがアメリカをはじめ、世界ではどちらかというと右側通行が多いんですよね。
たとえばアメリカで車を運転すると右側通行じゃないですかぁ。それってどんな感覚なのでしょう?
日頃車を運転中にふと、右側通行ってどんな感じなのかなぁ、って想像することがあります。
そこで今回は日本の車が左側通行である理由を調べてみました。
また合わせて、右側通行の理由や、かつて日本にも右側通行の場所があったという話題についてもご紹介していますので、最後までじっくりとご覧ください。
では先ずは日本が左側通行になった理由について見ていきましょう。
この記事でわかること
日本の車が左側通行である理由を知ろう!
世界では約70の国や地域が左側通行を採用しています。日本とイギリスだけかと思っていましたが、意外と多かったので驚きました。
日本で左側通行となったのはどのような理由があったのでしょう。調べてみると主に2つの説が浮かび上がってきました。それは、
- 武士の刀由来説
- イギリスにならった説
です。ではそれぞれ確認していきますね。
武士の刀由来説
私が一番納得できたのがコレになります!
武士は刀を左腰に差していたので、右側通行だと刀がぶつかってしまい、切りあいになってしまうから!
これを聞いてすぐに「なるほど!」って思いました。
日本人は右利きが多く、刀を抜きやすいように左腰に差していました。また、当時の日本は狭い路地が多かったようなんです。
そのため、右側通行だと刀を差している左側が内側になるので、刀がぶつかる可能性が出てきますよね。
すると、「無礼者!武士の魂に何をする!」ってけんかになっていたそうです。武士って大変ですね、刀に触れられると黙っていてはいけなかったみたいですよ。
そこで、この無用な争いを避けようってことで、左側通行のルールが生まれたんですって。
また、江戸時代の徒歩以外の移動手段は馬ですが、馬には左側から乗ります。その方が左側に差した刀が邪魔にならないからです。
そして、左側から馬に乗っても往来の邪魔にならないように、また馬同士がすれ違っても刀がぶつからないように、馬も左側通行だったようです。
そして、この流れが現代まで受け継がれているってことですね。
一方、明治政府が近代化の手本として、イギリスにならったのが由来とする説もあります。
この説を次にご覧ください。
明治政府がイギリスにならった説
日本の国会がイギリスにならって発展したように、交通ルールもイギリスにならって発展してきました。
その流れを簡単にみておきましょう。
人力車や牛、馬の通行を規制するのが最初だったんですね。なんだかのどかです^^
以上が日本の道路では車は左側通行とされている理由になります。
一方、世界では右側通行の国の方が多いのですが、その理由も見ておきたいと思います。
多くの国が右側通行の理由は?
世界では約160もの国や地域が右側通行を採用しています。この章ではその理由を詳しくみていきましょう。
右側通行を流行らせたのは誰?
世界中の多くの国や地域が右側通行になったのは、
- ナポレオン・ボナパルト
の影響なんですって!
ナポレオンって聞いたことはありますが、まさか右側通行の生みの親だったとは驚きです。
もともとは世界でも武器を右手に持って戦うことから、左側通行が普通でした。ちなみに、武器を右手に持つのは右利きが多いからですね。
右手に武器を持って戦う場面を想像してみてください。敵軍を前にした時に、お互いに相手を右側に配置したいですから、当然左側から攻めようとしますよね。
なるほど、合理的な理由があるんですね。だれかが法律で決めたとかではなくて、自然発生的に左側通行になっていったってことですね。
それが、ナポレオンの影響で、当時ヨーロッパで大国だったフランスから右側通行がはじまり、その影響を受けて、ヨーロッパの国々は右側通行へと変わっていきました。
ヨーロッパ大陸から離れているアメリカはというと、独立戦争の際に、フランスの支援を受けたことがきっかけで、フランスにならい右側通行に変えたんです。
なるほどねぇ、ナポレオンってすごいですねぇ!アメリカにまで影響を与えていたなんてすごい人物だなぁ。左側通行を右側通行にわざわざ変えるって大変でしょうにねぇ。
では、ナポレオンは何のために右側通行にしたのでしょうか?その理由がどうしても知りたくなったので、早速調べてみました。
何のために右側通行にしたの?
それまで左側通行だったものを、ナポレオンはどうしてわざわざ右側通行に変更したのか?その理由は、
- 戦争に勝つため
でした。
どういうことかというと、戦争でそれまで兵士は馬に乗って武器を右手に持って戦っていました。その戦いは、常に相手を自分の右側に置き、左側から右回りで攻めていたんです。
しかしナポレオンは、兵士に特別な訓練をさせ、右側から攻撃させたのです。この新戦法によってナポレオン軍は次々と戦争に勝利していきました。
「特別な訓練」ってのが具体的にどういったものなのかが気になったのですが、残念ながら詳細までは分かりませんでした。
利き手を左手に変えさせたのか、はたまた相手を自分の左側に配置して武器を使える訓練をしたのか、それくらいしか思い浮かばないのですが、ナポレオンのことですからそんなもんじゃぁないでしょうね。
ちなみに、この新戦法を思い付いたのは、ナポレオンが左利きだったからだと言われています。
こうして、
- ナポレオンの影響でフランスにおいて右側通行が軍隊から一般に普及
- フランスの影響を受けた多くの国や地域が右側通行になっていった
ってことなんですよ。
軍人の一般国民への影響力ってすごいんですね!
左側通行だったものを右側通行に変えるって、かなり大変だったんだろうなぁと思うのですが、かつて日本で、右側通行だったものを左側通行に改めた場所があるのをご存知でしょうか?
次はそんな話題をお届けします。
沖縄はかつて右側通行だった!
沖縄県では1978年7月30日に右側通行から左側通行に変更されました。
先ずは沖縄県公式チャンネルの動画をご覧ください。
ご覧になりましたか?すごいことが行われていたんですね!
1972年に沖縄はアメリカから日本に返還されました。しかし、その後も交通ルールは米軍の影響を受けて右側通行のままでした。
んー、そもそもアメリカの影響で右側通行にしていたってこと自体、知りませんでした。1つの国の中で2つの交通ルールが存在していたなんて不思議ですね。
世界には「道路交通に関する国際条約」っていうのがありまして、日本も加盟しているのですが、これには「一国一交通方法」と決められているんですよ。
1978年の交通方法の変更はこの条約を守るために行われたそうです。
標識や路上表示を書き換えたり、信号を設置したりってことを沖縄県内全域でおこなったんですね。大変な労力と費用がかかったと思います。お疲れ様でした^^
この時の作業のお陰で、我々が現在沖縄旅行をしても混乱せずにすむんですよね、有り難いことです。
では、最後に今回の内容をまとめてみたいと思います。
まとめ
いかがでしたか?日本が左側通行なのは江戸時代の武士の無用な争いを避けるための合理的なルールが発祥だったんですね。
世界では右側通行が多いですが、そうした国や地域もやはりもともとは左側通行だったことが分かりました。
そして、その理由が利き手が右側が多いことに由来しているってのはなんだか個人的にはすごく納得できました。みなさんはいかがでしょう?
- 日本が左側通行なのは、武士が、左腰に差した刀がぶつかって無用な戦いになるのを避けるために左側通行をルールとしていたから。
- 世界的に右側通行が多いのはナポレオンの影響だった。
- 沖縄県では1978年7月30日に、右側通行から左側通行に改められた。
世界的には少数派の左側通行ですが、歴史を振り返るともともとはどこも左側通行だったことを知って、なんだか妙にホッとしました。
今回は以上となります。最後までご覧いただき、ありがとうございました。