こんにちは、Isajiです。
先日、「両国」についての記事を執筆中に地図を眺めていたんです。
その時「馬喰町」の地名が見えて、「んっ!?何て読むんだっ?」って思いまして早速今回のリサーチテーマとしました。
読み方だけではなくその由来や町の歴史までしっかりと分かりましたのでバッチリ解説します。
地名の文字から想像すると馬が関係する職種の人々が住んでいたか或いは馬の放牧でもしていた地域なのかなあ、等と想像を掻き立てられますよね!
そうした地名にまつわる江戸の歴史も気になりますが、先ずは読み方から見て行きましょうネ。
この記事でわかること
読み方とその由来は?
画像はローマ字表記ですが、
と読みます。私は今回調べてみるまで「ばくろうちょう」だと思っていました。
何故「ばくろ」なのかはこの地名の由来を紐解いてみるとよく分かります。
「馬喰」は元々は「博労」と書きました。
「博労」とは牛や馬の売買を行う仲介業者のことを言いました。江戸時代、馬喰町付近は奥州街道の出発点でした。
その為、当時の輸送手段である馬を扱う馬市(うまいち)が立ち、博労や馬薬師(うまくすし=今の獣医)が多く住んでいました。
そうしたことからこの町は「博労町」と呼ばれるようになり、いつしか「馬喰町」と言われる様になったのです。
因みに「喰」は「くらう」と読み「大飯喰らい」等と言う様に「食べる」のぞんざいな言い方です。
ですから「馬喰」は「馬が大飯を喰らう」と言う意味を現しますので「博労」よりもより実態を現していると言えますよね。
しかし、博労には更にその語源が有る事が今回新たに分かりました。そこで次に博労の語源について解説します。
「馬喰」の語源はとある中国人だった!?
これまで書いてきました通り馬喰町の地名の由来は馬や牛の仲介人を意味する博労です。
そしてこの博労という言葉はそもそも「伯楽」という中国の言葉が起源とされています。
伯楽は元々は中国の人名で、馬の良し悪しを見分ける名人でした。
そこから馬や牛等の家畜の治療をする人々のことを「はくらく」と言い、これが生って「ばくろう」と言うようになり更に「ばくろ」と短縮する様になったのです。
因みに現在「名伯楽」という言葉が有りますがこれは「優れた能力・才能を持った人を見抜く力の有る人」という意味です。
元々は伯楽さんが優れた馬を見分ける才能が有った事からきているんですね。
家康から繋がる街の歴史を知ろう!
それではここで馬喰町の街の歴史を紐解いてみましょう。
簡単に歴史的な流れを書きますとこの様に変遷してきました。
それぞれについてもう少し詳しく見てみましょう!
家康の馬揃えの地としての馬喰町
馬喰町の歴史は古く、関ヶ原の戦いの頃まで遡ります.
関ヶ原の戦いの前に家康がこの地で馬揃えをしたと伝えられています。因みに馬揃えとは兵士や馬等の兵力を一か所に集めて主君に披露する武家の行事のことです。
馬場としての馬喰町
その後、江戸時代になりこの地は幕府公認の馬場となり、博労が多く住む様になりました。そして彼らを幕府博労頭の富田半七と高木源兵衛が管理していました。
その後、代々博労頭を勤めてきた高木家が名主(なぬし)となったことで、この町が「博労町」と呼ばれるようになりました。
火除け地としての馬喰町
家康が天下を統一し世の中が太平になると、馬術も次第に形だけのものとなっていきました。
そんな中、1657年(明暦3年)に明暦の大火と呼ばれる大火事が発生します。それ以降、馬喰町は火除地(火災の延焼を防ぐための広場)になりました。
問屋街としての馬喰町
馬喰町には関東郡代の屋敷が有り、訴訟や裁判で江戸に来た人々が宿泊する旅人宿や 公事宿 (くじやど)が多く立ち並んでいました。
その為馬喰町を訪れる人々のための旅館街となり、その土産物屋さんや、既に問屋街として発展していた隣町の横山町の影響で、馬喰町は問屋街として発展してきました。
画像は歌川広重の風景画に見る馬喰町です。描かれているのは染物問屋が染物を干している風景の様です。
そして現在は、洋品雑貨から繊維製品卸売業者等が軒を連ねる問屋街となっています。
まだまだ有る!江戸由来の東京の地名たち
今回の馬喰町の様に東京の地名には江戸時代から伝わる地名がまだまだ有りますよね。
ここでその中からいくつか御紹介しましょう。
- 八重洲(中央区)
今の大分県に漂着したオランダ人。家康の通詞(今の通訳)を勤めた人物、ヤン・ヨーステンの名前が由来とされています。
詳しくはこちらから↓
八重洲の由来は人の名前だった!地名にまつわる歴史上の人物とは? - 半蔵門(千代田区麹町)
忍者の頭として有名な服部半蔵やその部下が護衛した門が由来とされている。また、一風変わった異説も残されている。
意外な説も?詳細はココから↓
半蔵門の由来は象?地名に残された江戸の歴史とはっ! - 御茶ノ水(東京都千代田区)
徳川家でお茶をたてるための水が献上された高林寺に由来。「御茶ノ 水」と「御茶の水」、「ノ」と「の」の違いにも意外な意味が有りました!
詳しい情報はコチラを御覧下さい。
御茶ノ水の由来を知ろう! 地名に隠された歴史とは? - 高田馬場(新宿区)
家康の六男で越後高田藩主だった松平忠輝の生母=高田殿の遊覧地だった場所に有った馬場が由来。堀部安兵衛の高田馬場の決闘で有名に!
詳細はコチラを御覧下さい。↓
高田馬場の由来は? 地名発祥には将軍家光が関係していた! - 丸の内(千代田区)
丸(=城)の城壁で囲まれた内側の意味。大河ドラマ「真田丸」の「丸」ですね。丸の内は東京だけではなく全国に有るんですよ!
解説記事はこちらです↓
丸の内の地名の由来は?全国の丸の内の肝はココに有った!
まとめ
では今回のリサーチ内容を簡単にまとめてみましょう。
- 「馬喰町」は「ばくろちょう」と読む
- 牛馬売買の仲買人(博労⇒馬喰)がこの地の名主を勤めたことから「馬喰町」と呼ぶ様になった
- 家康の馬揃えの場所→馬場→火除地→問屋街と発展してきた街
リサーチしていてまさか家康に起源が有るとは知りませんでした、また、中国人の名前である「はくらく」が「ばくろ」の語源だったんですね。意外です。
地名の読み方を調べると思わぬ歴史ロマンを発見出来ますから止められませんねw
次はどんな地名の歴史捜査をしようかなあ^^v
今回は以上となります。最後まで御覧頂き有難う御座いました。
★参考サイト★
- 雑学ネタ帳「http://zatsuneta.com/archives/000468.html」
- 馬喰町の地名の由来-日本馬と博労「https://edokara.tokyo/conts/2016/08/13/528」