私は大の歴史好きで、最近は地名の歴史、由来についてリサーチする機会が多いのですが、そもそも自分の住む県名「岐阜県」についてしっかりと調べた事が無かった事に気付きました。
ところで「岐阜」を「ぎふ」って素直に読めますか?他の東海三県の愛知と三重は普通に読めますが岐阜って知らないと読めない方もいらっしゃる様です。
そんな感じで世間的にはイマイチ認知度が低そうな岐阜県ですがその地名を最初に付けたのが誰だか御存知でしょうか?
今回、県名の由来から名付け親、戦国時代から江戸、明治を経て現在の岐阜県の県名が完成するまでの歴史についても詳しく分かりましたので是非御覧下さい。
また、最後に岐阜県内のチョット読み難い地名についてもいくつか御紹介しています。
では、早速見て行きましょう!
この記事でわかること
「岐阜」と言う県名の由来は?
先ず始めにタイトルの答えをズバリ言いますネ!
と言う意味に由来しています。では具体的に誰がいつ名付けたのでしょうか?その辺りについて具体的に解説を加えて行きましょ
岐阜は織田信長が名付けた地名だった!
戦国時代、今の岐阜城は稲葉山城と呼ばれていました。その城主であった斎藤龍興を破った織田信長がこの城を1575年に岐阜城と改めた事が岐阜の地名の由来です。
信長が岐阜城の有る美濃国を本拠地とする際、沢彦宗恩(たくげんそうおん)に命名について相談し、彼の提案を受けて信長が岐阜と定めました。
この時の沢彦宗恩の提案内容に関しては2つの説が有ります。次にこの2つの説について見てみましょう。
中国の地名由来説
これは、縁起が良い中国の地名とされている「岐山」「岐陽」「曲阜」の中から選定したとする説です。
これらの候補の中から、織田信長が「岐」「阜」の2文字を組み合わせて「岐阜」という地名を作り、城の名前及び城下町の地名とした、と伝えられています。
中国の故事由来説
こちらは上とほぼ同じ感じなのですが故事から「岐」の一字と「阜」の一時を合わせて「岐阜」とした、とする説になります。
- 「岐」は「周の文王が岐山より起こり、天下を定む」という中国の故事に由来。
- 「阜」は孔子の生誕地「曲阜」から、太平と学問の地となるようにという願いからとする説。
この詳しい由来を知って思ったのですが、あの信長が縁起に拘っていた、というのは何だか意外ですね^^ 世の中を争い事の無い平和な世の中にしたいと願っていたんですね。
「岐」と「阜」の意味を知ろう!
岐阜という地名を誰がどの様に付けたのかはこれで分かりましたね。では次に「岐」と「阜」の文字それぞれの意味についても見ておきましょう。
- 「岐」という字は「岐路」「分岐」等の様に使われますが「枝分かれ」とか「ふたまた」という意味が有ります。
- 「阜」は、「小高い丘、豊かな、大きい」という意味です。
以前何回か岐阜城に登ったことが有りますが、そこから眼下を見下ろすと西には伊吹山が。東は遥か名古屋の方まで見渡せるんですよね。
つまり信長は450年前に岐阜城の有る金華山に登って眼下に広がる伊吹山から名古屋までの眺望を眺めながら「左右を見渡せる分岐点に有る大きな丘」という意味でその城を岐阜城と改めたのではないでしょうか。
戦国、江戸から明治の岐阜の呼ばれ方
これまで岐阜の地名の由来や意味について見て来ましたが今度は戦国時代から江戸時代を経て明治新政府によって岐阜県と決定されるまでの変遷を辿ってみたいと思います。
変遷をザックリ書くと・・・、
と変遷しました。
先程も書きましたが岐阜城は元々は稲葉山城と呼ばれ城下町は井口(いのくち)と言われていました。
そして信長が井口を岐阜と改め、城も岐阜城と命名します。
しかし、江戸時代に入ると徳川家康が岐阜城という城は天下に無駄な争いを起こす城として嫌い、隣町に奥平氏に城を築かせ加納城とします。
一方岐阜の町は尾張藩に与えられました。つまり江戸時代には加納と岐阜に分かれていた様です。
そして明治の世になると岐阜県は最初笠松県と呼ばれていました。その後、1870年に岐阜県となり現在に至っています。
岐阜県内の難読地名と由来
「岐阜」の県名自体がなかなか読み難く特に外国人にはなかなか読めない様なのですが、県内の地名にもパっと見読み難い地名が有ります。
本章ではその中からいくつかを由来とともに御紹介したいと思います。
- 尻毛(しっけ)
この地方は伊自良川(いじらがわ)の氾濫源だということで、「しっけ」というのは「湿地」という意味だそうです。
また、「尻」自体にも「一帯を代表するエリア」という意味が有るのだそうです。 - 下呂(げろ)
奈良時代にこの場所に置かれたとされる駅(下留駅・しものとまりえき)が変化したものと言われています。
下留(しものとまり)が下留(げる)となり、これが転じて下呂(げろ)となった様です。
★因みに「駅」とは朝廷の仕事で旅をする役人が使う馬や馬具等が常備されていた場所だそうです。 - 各務原(かかみがはら)
「鏡」に由来しています。
古代、この地域には銅鏡などの鏡を作る技術集団「鏡作部」(かがみつくりべ)が居ました。
この「かがみ」が「かかみ」となり最後に「かかむ」と転じたところで「各務」の字が当てられました。
まとめ
いかがでしたか?
岐阜県の名前の成り立ちにあの三英傑の一人である織田信長が深く関わっていたんですね。
では今回分かった事をまとめていましょう。
- 「岐阜」は織田信長が命名した
- 中国の故事や地名が由来
- 「岐」と「阜」には「左右を見渡せる分岐点に有る大きな丘」という意味が込められている
- 井口⇒岐阜⇒加納+岐阜⇒笠松県⇒岐阜県と変遷してきた
こうして自分の県名の由来を知ると郷土愛が高まりますね。w
久しぶりに金華山に登ってみたくなってきました。
今回は以上となります。最後まで御覧頂き有難う御座いました。