地名の由来

愛知の由来が面白い! 県名成立1300年の歴史とは?

投稿日:2018年4月6日 更新日:

いきなりですが、皆さんは御自分の住んでいる都道府県名の由来や歴史についてどのくらい御存知ですか?

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私は岐阜県に住んでいますが県名の詳しい由来については先日まで知りませんでした。先日、岐阜県の由来に関する情報をまとめながら、

隣県の「愛知県の県名の由来」についても知りたくなり、今回リサーチしてみることにしました。

愛知県は信長、秀吉、家康を始め数々の戦国武将を輩出している土地ですので岐阜県同様に戦国武将に関係が有るのかなぁと思いきや、意外にも全く関係有りませんでした。

実は「愛知」という表記や言い方の原点は大変古く、7世紀後半から8世紀後半に書かれた万葉集に由来することが分かったのです。

また、愛知県一帯は元々は「尾張国」や「三河国」と呼ばれていましたがこれらの呼称に関する歴史についても調べてみました。

では先ずは「あいち」という言い方の由来から見ていきましょう。

県名の由来

愛知の由来を見て行くには「あいち」という音、つまり言い方の由来と漢字で「愛知」と書く様になった由来に分けて考えると分かり易いと思います。

先ずは「あいち」という言い方の由来について見て行きましょう。

「あいち」のはじまり

「あいち」の語源としての最古の記録が万葉集の歌↓に残されています。

「桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし鶴鳴き渡る」
意味(桜田へ鶴が鳴き渡ってゆくよ。年魚市潟は潮が引いたらしい。鶴が鳴き渡ってゆくよ)

に出てくる「年魚市潟(あゆちがた)」の「あゆち」が転化して「あいち」になった様です。
約1300年も前に言い方の原型が有ったことには驚かされましたネ!

因みに桜田は今の名古屋市東部の南区の辺りを、そして年魚市潟は名古屋市熱田区辺りの当時海岸であった一帯を現す言葉です。

「あゆち」の「あゆ」は「湧き出る」と言う意味で、湧き水が豊富な土地と言うのが「あいち」の由来する説が最も有力とされている様です。

一方、東国へ向かう旅支度をする場所と言う意味で「足結(あゆ)道(ち)」とする説も有ります。

★「足結」とは古墳時代の男性の服装の一部で動き易い様にはかまの膝の下の辺りを結ぶ紐のことです

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「愛知」のはじまり

「あいち」という言い方の歴史は分かりましたが「愛知」と漢字で表す様になったのはいつ頃からなのでしょうか。

「愛知」と「愛智」を併用⇒「愛知」

「愛知」という表記は、鎌倉時代頃より、「愛智」と共に使われていましたが、江戸時代後期の天保の頃(1831年から1845年)には「愛知」と書くのが一般化していた様です。

尚、何故「愛」と「知」の字が使われ始めたのかは今回のリサーチでは解明出来ませんでした。

尾張と三河のはじまりは?

愛知県は江戸時代まで尾張国、三河国と呼ばれていました。

ということでここからは尾張国、三河国と呼ばれる様になったのはいつ頃からなのかについて触れたいと思います。

尾張国

記録に残る尾張国

先ずは記録に残っているところから見てみましょう。

7世紀後半の木簡には尾張国尾治国の二つの表記が見られます。また、平安時代に作られた『先代旧事本紀』には「尾治」となっています。

その後、大宝4年(704年)に国印が正式に作られた際に「尾張」と定められたとの説が有力の様です。

また発音が「終わり」と同じであることからヤマト王朝の勢力圏の「東の端」を意味していたとされている。

神話に残る尾張国

古代からこの地域を治めていた豪族が尾張氏でした。

尾張氏は素戔男尊(スサノオノミコト)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し尾を割った時に出現した草薙剣を管理していた一族だそうです。

つまり「尾を割る」から「尾割」⇒「尾張」となったのですね。

三河

表記は・・・、

「三川」⇒「参河」⇒「三河」と変遷

と変遷していった様です。

『古事記』には「三川」と表記されていて、出土している7世紀の木簡にも「三川国」と書かれているそうです。

また、平城京までは「参河」と表記されていて、長岡京以後は、「三河」と表記される様になったことが、木簡から分かっているそうです。

しかし、三河と言われる様になった由来については現在も分っていない様です。

ここまでで「愛知県」の県名の由来と江戸時代までの地名である「尾張国」「三河国」の表記の歴史について見てきました。

次に明治以降「尾張国」と「三河国」が「愛知」と定められる様になるまでの歴史的流れを紐解いて行きましょう。

明治維新後に愛知県となるまでの変遷

明治4年(廃藩置県時)・・・12県(名古屋県・西尾県・岡崎県・豊橋県・犬山県・重原県・刈谷県・挙母県・半原県・西端県・田原県・西大平県)が設置

明治4年11月・・・尾張は名古屋県に、三河と尾張の知多郡は額田県になる

明治5年4月・・・名古屋県を愛知県と改称。

明治5年11月27日・・・額田県が愛知県に編入

こうした変遷を経て永く続いた尾張国と三河国は愛知県として統合されました。

以上、愛知県の歴史を見てきましたが次にその他の都県の由来についていくつか御紹介しましょう。

その他の都県名たちの由来

  1. 北海道
    江戸時代までは蝦夷地と呼ばれていたが、1869年(明治2年)に開拓判官(北方開拓の為に置かれた明治政府機関の役人)松浦武四朗の案により決定。
  2. 東京都 
    東の京、つまり京都に対し東の都という意味。明治天皇の2回目の東幸で遷都が完成した。
    詳しい内容はこちらを御覧下さい↓
    東京の由来は? 地名のルーツを知れば歴史の真実が見えてくる!
  3. 岐阜県 
    左右を見渡せる分岐点に有る大きな丘の意味。岐阜城を天下統一の拠点とした織田信長が名付け親。
    詳しい内容はこちらを御覧下さい↓
    岐阜の由来は? 県名の歴史にアノ武将が関わっていた!

まとめ

ではここで今回の内容をまとめてみましょう。

  1. 「愛知」の言い方の変遷・・・「あゆち」⇒「あいち」。
  2. 「愛知」の表記の変遷・・・「愛知」と「愛智」を併用⇒「愛知」。
  3. 「尾張」とはヤマト王朝の東の端(終わり)の意。「尾を割る」から来ているとの説も有る。
  4. 「三河」は「三川」⇒「参河」⇒「三河」と変遷。
  5. 明治5年に「尾張国」と「三河国」が完全に統合され「愛知県」となる。

いかがでしたか?

今回は愛知県の県名由来やその歴史についてリサーチしてみました。

私の地元、岐阜県は「信長が定めた」の一言に集約されますが隣県の愛知県は大変複雑だったという印象ですね。

今後も可能な限り他の道府県についても詳しく調べていきたいと思います。

今回は以上となります。最後まで御覧頂き有難う御座いました。

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         Isaji

信長で有名(?)な岐阜市の病院に勤務するアラフィフです。 元々は国税専門官なんていうお堅い仕事をしていたこともあります。

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また、’08年と’10年 にNHKワンポイント介護という番組に15回出演させて貰いました。

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