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名古屋城の歴史を簡単スッキリ解説!これであなたも名古屋城通だ!

投稿日:2018年5月26日 更新日:


「名古屋城の歴史を簡単に教えて!」

こんにちは。歴史大好き人間のIsajiです。

名古屋城の木造再建が2022年に予定されていますね。鉄筋コンクリートの名古屋城も遠くから観ると違和感はないのですが、やはり個人的には築城当時の姿が観たいですね。

この再建のニュースを見て、地元である東海地方のシンボル、名古屋城の歴史を改めてしっかりと調べてみたくなったんですよ。

そこで今回気になることをトコトン調べてみて、分かったことを簡単に、分かりやすくまとめました。

戦国時代から江戸時代、戦後までの名古屋城の変遷をしっかりと解説していきますね。なお、合わせて、現地に行くには欠かせない、名古屋城観光のおすすめスポットや基本情報もお伝えしますので、ぜひ合わせてご覧ください~。

では最初に、名古屋城の起源から歴史を紐解いてみましょう。

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名古屋城の歴史簡単まとめ


この章では名古屋城の主な歴史を、

  1. 戦国時代
  2. 江戸時代
  3. 戦中戦後

に分けて見ていきます。

先ずは全体の流れをとらえるために、主な出来事を年表で確認しておきましょう。

年代名古屋城に関係する出来事
1521年~1528年今川氏親(義元の父)が尾張進出の拠点として「柳之丸」を築城。
1532年織田信秀(信長の父)が柳之丸を奪い、那古野城と改称。以後信長が居城。
1555年信長が清須城に移り、一族の信光が那古野城に居城。
1582年那古野城廃城。
1612年名古屋城天守閣完成。「清須越し」開始。
1615年本丸御殿完成。
1616年清須越し完了。
1945年空襲で全焼。
1959年再建。

それでは各年代ごとにサクサクっと見ていきましょう!

戦国時代

柳之丸から那古野城へ

名古屋城一帯は元々、今川那古野氏という武将の領地でした。ここに今川氏親(うじちか)が柳之丸を築城し、これが名古屋城の始まりとされています。柳之丸は城というよりも砦ほどの規模だったようです。

その後、織田信長の父、信秀が柳之丸を奇策をもって奪い、「那古野城」と改めます。なぜ元々の領主だった那古野氏の名を城の名にしたのか謎ですねぇ。奪い取ったんだから、私なら別の名前にするかなぁ~。

しかし、戦国時代は普通だったのでしょうが、他人がこしらえた家を無理やり奪うなんて今じゃ考えられないですよね。^^;

えっと、話がそれましたので戻しますが、上に書いた信秀の奇策というのがあまりにも衝撃的ですので紹介しておきます。

~信秀の奇策~
当時の柳之丸城主だった今川氏豊と連歌を通じて仲良くなる。そしてある日、柳之丸に滞在中、病気になり(仮病)、家臣に遺言をしたいと頼んで家臣を城内に引き入れることに成功。城の内外から火を放ち城を乗っ取った。

さて、信秀が乗っ取った那古野城は信長、信光と引き継がれた後、一旦は廃城となります。これ以降、尾張の拠点は清須に移ります。

次に、江戸時代に名古屋城が完成し、現在の名古屋の町に通じる形になるまでを見て行きましょう。

江戸時代

清須越しを経て那古野城から名古屋城へ

今回、「清須越し(清州とも言われる)」という言葉を初めて知りました。「越し」って言うからには恐らく「引っ越し」って感じかなぁ、と思って調べてみたら「ピンポン!」、当たりでしたね。

この辺りの流れをもう少し詳しく見ておきます。

1609年に家康が名古屋城の築城を決定し、工事が始まります。

そして、3年後の1612年に天守閣が完成。家康の9男義直を城主とします。ここから、それまで尾張の中心地だった清須の町を名古屋に丸ごと移し始めます。

つまり清須越しとは「清須の城と町を名古屋に引っ越しさせること」だったんです!いやぁ、スケールがデカいですね。因みに清須城を壊した廃材を名古屋城建設に再利用したそうですよ。

で、1616年に清須越しが完了し、以後名古屋の町は尾張徳川家の下で繁栄していきました。

戦中戦後

残念ながら名古屋城は1945年に空襲で全焼してしまいます。焼ける前の姿は白黒写真でしか残されていません・・・。

消失前の様子を知る事が出来る動画を見付けましたので是非御覧下さい。

戦後、1959年に鉄骨鉄筋コンクリート造りで再建されています。尚、2022年を目途に木造での再建が予定されています。再建後の様子をCGで紹介する動画を見付けました。これを観るとワクワクしてきます。楽しみですね♪

以上、名古屋城の歴史を簡単にまとめてみました。次は名古屋城観光のおすすめスポットを5つ紹介します。

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名古屋城観光おすすめスポットトップ5

主なおすすめスポットは次の5つです。

  1. 西北隅櫓
  2. 金の鯱
  3. 埋門
  4. 清正石
  5. 本丸御殿

では一つずつ順番に見ていきます。

おすすめ1「西北隅櫓」

「清須越し」の際、清須城から移築

慶長17年(1612年)に完成したもので、国の重要文化財に指定されています。

先に書きました「清須越し」の時に清須城の小天守を移築したものと伝えられていたのですが、平成22年から平成26年に実施された解体修理の結果、柱を中心に転用材が多く確認されました。

おすすめ2「金の鯱」

オス メス一対の夫婦でメスの方がゴージャス

これは言わずと知れた名古屋城の象徴であり定番ですよね!一度見たら忘れられないでしょう。お城に鯱を配するのは、「火事の時に水を吐き出して消火してくれる」とう意味で、言ってみれば火災を防ぐおまじないですね。

この2つの鯱、実は大きさやウロコの数が違うんです。知ってました?具体的な違いをまとめてみました↓

 大きさ
ウロコの数
オス(北側)
2.57m
194枚
メス(南側)
2.51m
236枚

メスの方がやや小さいのにウロコの数は多いんですね。メスの方が着飾ってるということでしょう。ちなみにこのオスメスは夫婦一対を表しているんです。

ここで名古屋城金の鯱にまつわるエピソードを一つ紹介しますね。

<シャチホコ仰天エピソード>
昭和12年(1937年)1月4日、鯱のウロコが盗まれる。犯人は昼のうちに天守内に客として侵入。夜まで待って犯行に及ぶ。

夜の真っ暗闇の中で、あんな高い所に昇る勇気が有るなら真面目に働けば良いじゃん!って思いましたね。

おすすめ3「埋門(うずみもん)」

藩主の緊急脱出口

構造がよく分かる写真をツイッターで見付けました↓

二の丸庭園の奥に緊急時の藩主脱出門である埋門(うずみもん)が有ります。

<埋門とは>
城郭の石垣や、土塀の下をくぐる門のこと

名古屋城の埋門は、城が危機に陥った際に、城主がこの場所から階段を降り、堀から御深井丸(おふけまる)に渡り、大曽根(おおぞね)、勝川(かちがわ)、定光寺(じょうこうじ=愛知県瀬戸市)を経て木曽まで逃げることになっていました。

実際にこのルートが使われたという記録は有りません。まぁ、太平の世になってからは徳川に逆らう大名はいなかったでしょうね。

なお、定光寺には尾張徳川家の初代藩主、徳川義直公の廟所が有ります。

おすすめ4「清正石」

加藤清正は運んでいなかったのに「清正石」?

名前は清正石となっていますが、この石垣部分の施行を担当していた大名は黒田長政でした。加藤清正がかなりの築城の名手だったために、後世の人々がこう呼んだようですよ。

長政が生きていたら、「長政石」と修正するよう名古屋市さんにお願いしたいでしょうねぇ。「それは俺が運んだんだぞ!」って言ってそうです。^^v

おすすめ5「本丸御殿」

将軍上洛時の宿舎

こちらは、尾張徳川家初代藩主の徳川義直の時代には義直の住居及び政治を行う場として使われていたものです。しかし、2代藩主光友以降は、将軍が上洛する際、その途中に立ち寄る宿舎として機能していました。

~上洛とは~
京都へ行くこと。

徳川将軍家では初代家康、2代秀忠、3代家光、14代家茂のみが上洛し、将軍に任じるための儀式(将軍宣下)が行われた。
(4代家綱が将軍職を継ぐ時は、11歳と幼かったため、京都から朝廷の使いが江戸に来て、将軍宣下を行った。これ以降、14代家茂以外の将軍は上洛していない。)

上にも書いた様に、上洛したのがわずか4人だけ!それだけのために尾張徳川家はわざわざ御殿を建設したんですね!

この名古屋城本丸御殿、2018年に復元が完成しましたが、総工費は150億円かかっています。つまり、当時の尾張藩もそれくらいの費用をかけて建設したんでしょう。

建設当初はまさか、4代家綱以降の将軍宣下が江戸で行われるようになるなんて思ってもみなかったんじゃないでしょうか!

ところでこの名古屋城本丸御殿ですが、一部の部屋が一般に貸し出しされている、って知ってますか?次にこのことについて触れておきます。

名古屋城本丸御殿が貸し出し可能!

7時間2万円で貸し出しされている

本丸御殿の部屋の一つ「孔雀之間(くじゃくのま)」が一般に貸し出されています。会議や記者会見、伝統文化のイベント、お茶会、講演会などの利用を予定しているそうですよ。広さは36畳あります。

貸し出しの時間や料金区分は次のようになっています。

区分時間料金
全日9:30~16:30¥20,000
午前9:30~12:30¥12,400
午後13:00~16:30¥12,400

では最後に気になるアクセスについて見ておきましょう。

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名古屋城へのアクセスは?

アクセス手段別ルート一覧表

公共交通機関の場合と車の場合のルートを一覧表にまとめてみました。

交通手段
ルート
地下鉄
  • 名城線 「市役所」 下車 7番出口より徒歩 5分

  • 鶴舞線 「浅間町」 下車 1番出口より徒歩12分
名鉄
瀬戸線 「東大手」 下車 徒歩15分
市バス
  • 栄13号系統(栄~安井町西) 「名古屋城正門前」

  • なごや観光ルートバス「メーグル」

  • 基幹2号系統 「市役所」 下車 徒歩5分


  • 名古屋高速1号楠線 「黒川」 出口から南へ8分

  • 名古屋高速都心環状線 「丸の内」 出口から北へ5分

車の場合の駐車料金、マップ、連絡先情報

車で行く場合の駐車場情報を一覧表にまとめてみました。

駐車場
区分
時間
料金
利用可能日
利用可能時間
正門前駐車場
普通車
30分ごと
¥180
1/2~12/28
8:45~21:30
自動二輪・原付
30分ごと
¥100
二の丸東駐車場
普通車
30分ごと
¥180
1/2~12/28
8:30~22:30
駐車場についての連絡先
名古屋城振興協会 TEL:052-231-1655

<名古屋城アクセスマップ>

駐車場の分かる詳細マップはこちらから

名古屋城 正門前駐車場と二の丸東駐車場の混雑状況は?
平日はいつでも空いています。

土日祝日やゴールデンウィーク、お盆、正月などの連休、さらには名古屋城春の陣、名古屋城桜まつり、名古屋城宵まつり等のイベント期間中は、朝から満車になることが多いようですよ。

ですので、これらの期間に確実に停めようと思えば、午前10時までには到着するようにするとよいでしょう。

では最後に今回の内容をふり返ってみましょう。

まとめ

名古屋城は何も無かった場所に建設したのではなく、元々は「那古屋城」と呼ばれる城が有ったんですね。その頃の風景を見てみたいものです。

  1. 柳之丸→那古野城→名古屋城と変遷してきた
  2. 「清須越し」により清須の町をそのまま名古屋に移転した
  3. 1959年に鉄骨鉄筋コンクリート造りで再建
  4. 2022年に木造での再建を予定
  5. 名古屋城のおすすめ観光スポットは5つ
  6. 名古屋城本丸御殿孔雀之間は借りられる

ここまで調べてくると歴史好きの虫がまた騒ぎ出しました。久しぶりに旅行に行ってきま~す!

今回は以上となります。最後まで御覧頂き有難う御座いました。

★参考サイト★

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プロフィール

         Isaji

信長で有名(?)な岐阜市の病院に勤務するアラフィフです。 元々は国税専門官なんていうお堅い仕事をしていたこともあります。

時代劇が大好きです。マジックも大好きで、マジックグッズのコレクションが趣味です。

また、’08年と’10年 にNHKワンポイント介護という番組に15回出演させて貰いました。

毎日を少しでもお得に、そして楽しく過ごすための情報を求めて街を探索することが、休日の日課になっています (^^)v

 

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