どうも~、Isajiです。
お弁当と言えば、定番はやはり幕の内弁当ですよね。焼き魚・玉子焼き・かまぼこ・揚げ物・漬物・煮物などがテッパンメニューですね。
ところで、この幕の内弁当ですが、その由来って、考えたことはありますか?よくよく考えると変ですよえ。普通は「味噌カツ弁当」とか「ハンバーグ弁当」とかのように、おかずの名前で呼びますもんね。
そこで今回は、幕の内弁当の由来や語源について、3つの説に絞って、それぞれ解説していきます。
また、合わせて、幕の内弁当の変遷や、定番メニューについても調べてみましたので、最後までじっくりとご覧ください。
読んだ後は、幕の内弁当が食べたくなっちゃいますよ!では、早速見ていきましょう。
この記事でわかること
幕の内弁当の由来3つの説って?
幕の内弁当って、ホント不思議な名前ですよね。由来には主に次の3つの説があります。
- 歌舞伎由来説
- 戦国時代の陣幕由来説
- 相撲由来説
では、それぞれ、順番に解説していきますね。
歌舞伎の観劇用に考案されたとする説
歌舞伎の観劇で、
幕と幕の間の休憩時間に食べた弁当
のことだとする説があります。これが、現在では最も有力とされていますね。私もこれが一番しっくりきます、個人的意見ですが。
江戸時代の歌舞伎は、今のように照明設備がありませんから、日の出から日の入りまでの上演でした。だいたい、午前6時から午後4時までです。この間、休憩などを挟んで、約10時間も観劇します。
しかも、舞台装置の設置や入れ替えに、今よりもかなり長く時間がかかったそうです。
以上のことから、役者や裏方は、幕と幕の間の時間(幕間=まくあい)に、食事をしていました。それがやがて、お客さんも弁当を食べるようになります。
そうした客目当てに開発されたのが、歌舞伎観劇用のお弁当です。
内容は・・・、
俵型の焼きおにぎり、玉子焼き、蒲鉾、こんにゃく、焼き豆腐、かんぴょうを煮たものなど
というのが定番でした。定番化(規格化)することで、大量生産、大量販売できますから、さすがに江戸っ子はぬかりないですね!
ここまで見てきてお分かりでしょうが、「幕の内」の語源は、「幕」の合間の「内」に食べる「弁当」だから「幕の内弁当」ってことですね。
先ほども書きましたが、江戸時代の歌舞伎は、舞台設定の変更に伴うセットの入れ替えや、役者の着替えなどにとにかく時間がかかりました。
この、幕と幕の合間(幕間)に腹ごしらえをしながら次の芝居の幕が開くのを待っていたんでしょうね。
今でもそうですが、芸能人関係や娯楽から発祥した文化は、庶民の間に広まりやすいですから、やはり個人的には、この説が一押しですね!
つづいて、別の説ものぞいてみましょう。
戦陣でのファストフードとして考案されたとする説
この説は、個人的には、今回が初耳です。
戦場に、幕を張って作った仮設の指令本部で、食べられていた陣中食
本格的な戦では、ちゃんとした指令本部を建設したり、戦場にある民家を徴収して、指令本部を設置しますが、そうしたことが出来ない場合は、大将や司令官が詰める場所を幕で囲っていました。
そして、その中で、ゆっくりと食事をしている場合ではありませんから、今でいうファストフードが考案され、食べられていたようです。
中でも、代表的なものは、次の2種類です。
<芋がら縄>
芋の茎を使った携帯食。
芋の茎を縄のように編んで、味噌、酒、鰹節で煮しめて、乾燥させたもの。携帯食としての用途は勿論、腰に巻いて携帯したり、荷物を縛ったりして使っていた。
<兵糧丸>
丸薬状の携帯保存食。
米、白玉粉、そば粉、きな粉、くず粉、キビ粉、はったい粉などを酒で練り、丸めて蒸した後、天日干しにしたもの。
芋がら縄はまさに究極の、インスタント味噌汁ですよね!
兵糧丸は、忍者の携帯食としてテレビで紹介されていたのを、観たことがありますが、1日に2個~3個ほどで空腹をしのげるそうです、信じられませんが。
勿論、他にも、陣中携帯食はまだまだあるのでしょうが、いずれにしても、弁当と呼ぶにはどうも抵抗がありますよね・・・。
こちらの説の語源は、「陣幕」の「内側」で食べるから「幕の内」ってことなのですが、これは、食べていたものが弁当というイメージに結びつかないですよね。
「幕の内サプリ」って感じになっちゃいますよね。個人的には、この説は却下かなぁ・・・。単なるこじ付けに聞こえます。
では、3つめの説です。
相撲の力士が食べていたことが由来とする説
相撲の、幕内の上位4階級(横綱・大関・関脇・小結)の力士は、将軍上覧相撲の際に、幕の内側で、将軍と同じ円座に入って、食事をすることを許されていたらしく、その時に、力士が食べた食事に由来するとする説です。
この説によると、語源は、上位階級の力士が「幕」の「内側」で食べていた「弁当」から「幕の内弁当」ってことですよね。
これは、相撲という、江戸時代の娯楽からきていますから、語源として、考えられなくもないです。
しかし、特別な階級の力士だけに許されていた、将軍と同じ円座で食べる、という行為から発祥した言葉が、一般に広まるのかって、疑問が残りますね。
以上、幕の内弁当の由来についてみてきました。
3つの説はいずれも江戸時代までの話ですよね。では、明治以降はどのように、庶民に広まっていったのでしょうか?今度はその辺りを紐解いてみましょう。
幕の内弁当の変遷を知ろう!
明治以降は、次のような流れで人気が続いていきます。
駅弁→高級幕の内弁当→コンビニ弁当
明治以降、幕の内弁当は、鉄道の発展とともに、駅弁の様式の一つとして全国に広まっていったようです。
戦後になると、高級懐石風の幕の内弁当が人気になります。
そして、全国に増えていったコンビニでも、様々な形の弁当が売られるようになりましたが、中でも幕の内弁当は一番人気みたいですよ。
ところで、幕の内弁当の定義ってなんなのでしょうか?気になりますよね!
ってことで、次は、幕の内弁当の定義について調べてみましたので、ぜひご覧ください。
幕の内弁当の定義は?
どの幕の内弁当にもほぼ入っているのは・・・、
焼き魚・玉子焼き・蒲鉾・揚げ物・漬物・煮物
ではないでしょうか。これらが入ったものを、「幕の内弁当」と、一般的には呼ぶようですね。
先ほど見てきたように、歌舞伎の観劇の合間に食べる、という性質上、食べやすさや腐りにくさに配慮した結果、汁気の少ないおかずが選ばれてきたようですね。
では、最後に全体をおさらいして、終わりにしたいと思います。
まとめ
今ではお弁当の定番となった幕の内弁当。その由来を3つの説に絞って見てきました。それぞれに歴史的背景があって興味深かったですね。では、ポイントをまとめておきますね。
- 歌舞伎の、幕間に食べられていた弁当が由来。
「幕間」の「内」に食べる「弁当」から「幕の内弁当」。 - 戦陣の陣幕の中で食べられていた陣中食が由来。
「陣幕」の「内側」から「幕の内」。 - 相撲の、上位階級の力士が、将軍上覧相撲の時、幕の内側で食事をすることを許されていたことに由来。
「幕」の「内側」から「幕の内」。 - 幕の内弁当は、明治以降、鉄道の発展に伴い、駅弁という形式で、全国に広まっていった。
- 幕の内弁当を定義するメニューは「焼き魚・玉子焼き・蒲鉾・揚げ物・漬物・煮物」
歌舞伎を観たり、相撲を観たりする際に、幕の内弁当を食べることがあったら、こうしたことを考えながら食べるのも、良いかも知れませんね^^/
今回は以上となります。最後までご覧いただき、ありがとうございました。
- 「江戸グルメ誕生」山田順子著 講談社
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