「歌舞伎の歴史が知りたい!」
こんにちは。歴史大好き人間のIsajiです。
皆さんは歌舞伎って御存知ですか?まぁ、ほとんどの人が、聞いたことはあると思います。
しかし、その歴史について知っている人は少ないのではないでしょうか?
実は私も知りませんでした。先日、歌舞伎に関係する記事を書いていて、「そう言えば歌舞伎の歴史ってどうなんだろう?」と、ふと思って、今回調べてみることにしました。
その結果、歌舞伎の歴史が大変よく分かりましたので、年表を交えて紹介していきたいと思います。なお、合わせて、歌舞伎の語源の謎や女性の役者がいない理由などについても書いていますので是非ご覧ください。
では、先ずは歌舞伎の歴史からじっくりと見ていきましょう。
この記事でわかること
歌舞伎の歴史のはじまりは、一人の女性の路上ライブパフォーマンスだった!?
歌舞伎はもともとは一人の女性が始めた踊りが起源とされています。そこから下記のように変遷して、現在まで様々に形を変えながら受け継がれてきました。
出雲阿国(いずものお国)→女歌舞伎→若衆歌舞伎→野郎歌舞伎→「荒事」「和事」→新歌舞伎→スーパー歌舞伎
では、その変遷についてもう少し詳しく年表にしてみたのでご覧下さい。
西暦 | 時代 | 出来事 |
---|---|---|
1603年 | 江戸時代 | 出雲の阿国[お国] ↓ 女歌舞伎 |
1629年 | 女歌舞伎禁止令 ↓ 若衆歌舞伎 |
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1652年 | 若衆歌舞伎禁止令 ↓ 野郎歌舞伎 |
|
1688年~1704年 | 江戸では「荒事」が、上方では「和事」が人気に | |
1832年 | 7代目市川團十郎 「歌舞妓狂言組十八番」選定 | |
1840年 | 7代目市川團十郎 「歌舞伎十八番」選定 | |
1868年~1888年 | 明治 | 演劇改良運動 |
1887年 | 天覧劇 | |
1900年頃~1920年頃 | 明治~大正 | 新歌舞伎 |
1945年9月 | 昭和 | 戦後歌舞伎再開 |
1951年 | 歌舞伎座再建 | |
1986年 | スーパー歌舞伎上演 |
ではここからは、年表の各時代について解説を加えていきますね。
江戸時代
江戸時代の流れをポイントごとに見ていきましょう。
出雲阿国が創始
最初にこちらの動画をご覧下さい。↓
「全画面モード」で観ないと分かりにくいかも知れませんが、白い衣装を着た人が持っている幟(のぼり)には「出雲阿国」と書かれています。その後に登場する3人が出雲阿国一行ですね。
歌舞伎の創始者と言えるかどうかは別にして、出雲阿国(いずものおくに)さんが始めた踊りが、歌舞伎の起源とされているようです。
お国さん、実は出雲大社の巫女さんで、出雲大社への「勧進」のために諸国を巡っていました。
ただ単に街頭に立ってお願いするだけでは寄付は集まらない。そこでお国さんは踊りを披露することで「私の踊りを観て気に入ってくれたら寄付してくださ~い」って呼びかけたんでしょうね、勝手な想像ですが。^^
今でいうと、路上パフォーマンスするスーパーダンサーって感じでしょうか。
あっ!
ここで一つ思い出しました。そういえば、2016年の大河ドラマ「真田丸」でも出雲阿国とそのパフォーマンス集団が描かれていましたね!豊臣秀吉お気に入りの踊り子集団でした。
話が脱線したので元に戻します。
女歌舞伎から若衆(わかしゅ)歌舞伎、そして野郎歌舞伎へ
お国一行の踊りが評判になると、ここから「女歌舞伎」と呼ばれる踊りが流行り始めます。
しかし、「女歌舞伎」はお国のものとは違い、かなりきわどい演出がされていました。その結果、風紀を乱すってことで、1629年、幕府から禁止令が出され消えてしまうんですね。
その後、「若衆歌舞伎」と呼ばれる、前髪のある美少年が演じる踊りが流行ります。
「美少年」ってのがミソでして、当時は美少年とのよろしくない関係が流行っていて、トラブルが多発しました。そうなると、これも風俗上よろしくないってことで、またまた幕府が禁止してしまうんですね。
しかし、江戸庶民は強いというか、歴史は繰り返すというか、今度は前髪をそり落とした野郎頭の成人男性が演じる「野郎歌舞伎」が流行ります。
この「野郎歌舞伎」は成人男性が演じるもので、「女歌舞伎」や「若衆歌舞伎」での反省を活かし、よろしくない演出や好ましくない関係にいたる要素を排除し、本格的に「歌」・「舞」・「伎(技芸」を売りにしました。
「荒事」と「和事」の発展
「野郎歌舞伎」は1688年~1704年にかけて、江戸では「荒事(あらごと)」として、上方(京・大阪)では「和事(わごと)」として発展していきます。
- 荒事・・・江戸で発展。荒々しく豪快な演技。勧善懲悪なストーリー。
- 和事・・・上方で発展。柔らかで優美な演技。人間ドラマ重視のトーリー。
荒事
江戸は武士を中心に発展した町です。そのため、荒々しくて豪快な、力強い演技が好まれたんですね。
また、ストーリーもヒーローが悪者をやっつけるという、勧善懲悪で、分かりやすいことも、発展した理由に挙げられると思います。
顔には、「隈取(くまどり)」という独特な化粧をしますよね。これは、その演技に合わせ、顔の血管や筋(すじ)を誇張表現したものなのだそうです。
なるほどねぇ~。
和事
歴史が古く、文化都市だった上方では、芝居好きさんが多くいました。そのため、色男の恋愛劇を描いたストーリーものが好まれたみたいですね。
歌舞伎十八番を制定
7代目の市川団十郎が1832年に「歌舞妓狂言組十八番」を制定し、江戸歌舞伎の代表格としての市川家の権威付けをしようと試みます。そして、1840年には「歌舞伎十八番」を制定し、市川家の権威は揺るぎないものとなりました。
ちなみにこの「十八番」ですが、俗語としては「おはこ」と言いますよね。なぜそう呼ぶようになったのかや、その意味について知りたくないですか?詳しくはこちら↓の記事に書きましたので合わせてご覧下さい。
明治・大正時代
明治時代に入ると、政府は、歌舞伎を国内外の要人に鑑賞してもらえる、より文化的なものに発展させようとします。
一方9代目の市川団十郎は、それまでの歌舞伎の表現を、より事実に近いものにしたい、と望んでいたんです。
こうした両者の利害関係が一致し、1868年~1888年に「演劇改良運動」が起こり、歌舞伎が進化していきました。
この改良運動のさなか、 1887年には天覧劇(天皇陛下の観劇)が行われたことで、歌舞伎の文化的地位が大きく向上します。
そして、明治から大正にかけて「新歌舞伎」が発展します。
それまでは、演目の作者は「狂言作者」と呼ばれる、歌舞伎専門の作者だったのですが、演劇改良運動により新たな演出や演技に基づいた演目が上演されるようになります。
そして、この新歌舞伎は戦後へと受け継がれていきました。
昭和~平成
戦時中は興行されていなかった歌舞伎ですが、1945年の9月から再開されます。そして、1951年には歌舞伎座が再建されました。
1986年には三代目市川猿之助が「ヤマトタケル」を演じたのですが、これを「スーパー歌舞伎」といいます。
そしてさらに、2014年には「スーパー歌舞伎II」が、2015年には「スーパー歌舞伎II ワンピース」が、いずれも四代目市川猿之助により演じられています。
「スーパー歌舞伎II ワンピース」のダイジェストムービーを見付けましたのでご覧ください。
いやぁ、これを観て歌舞伎のイメージが変わりました!丸でミュージカルですよね。劇団四季のミュージカルかと思っちゃいました^^
スーパー歌舞伎を観ても分かると思いますが、演劇改良運動から始まった歌舞伎改革は、新しい脚本作者の登場や演技方法、舞台・照明装置の改革等様々な変革を経て今もなお進化を続けています。
以上ここまで、歌舞伎の主な歴史について見てきました。
ところで、歌舞伎に女性出演者っていませんよね?不思議に思いませんか?そこで今度は、歌舞伎に女性役者がいない理由などについて調べてみましたよ。
歌舞伎に女性がいないのはなぜ?
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歌舞伎に女性役者がいないのには、主に以下の二つの理由があると言われています。
- 理由その1・・・歴史的背景
- 理由その2・・・舞台衣装の重量
歴史的背景
第1章で見てきたように、出雲阿国が創始した踊りが、女歌舞伎に発展した段階でよからぬ男女関係やトラブルなど、風俗に悪影響を及ぼすとして幕府が、女性が踊りを演じることを禁止してしまったことから、女性が演じることはできなくなりました。
衣装の重量が重い
これは、「なるほど!」って思わずつぶやいてしまったことなのですが、舞台衣装が、場合によっては約40kgにもなるのだそうです!
40kgの衣装を身に付けて動いてしゃべって芝居をするなんて、そんなの、女性は勿論、男性でもなかなか大変じゃないですか!
以上が、歌舞伎役者に女性がいない主な理由ですね。
ここまで主に、歌舞伎の歴史にふれてきました。そこで、ここまできたら、そもそも歌舞伎って語源は?ってなりませんか?ってことで、次は歌舞伎の語源を調べてみました。
そもそも「歌舞伎」の語源ってなに?
ここまで見てきたところ、歌舞伎はもともとは女性が始めたものだったのが、女性が演じることを禁じられて、現在の形になったことが分かってきましたよね。
このことは、「歌舞伎」の語源を探るとよりはっきりと見えてきました!漢字表記の語源と読み方の語源に分けてみると理解しやすいと思います。
漢字表記の語源は?
「歌舞する女性」が語源
漢字では「歌や踊りを披露する女性」という意味で「歌舞姫」「歌舞妃」「歌舞妓」等の字が使われていました。
特に江戸時代を通じて一般的に使われていたのは「歌舞妓」のようです。現在使われている「歌舞伎」は明治以降に一般化しました。
では次に、読み方の語源を紐解いてみましょう。
読み方の語源は?
「かぶく」が語源
「かぶく」の「かぶ」は古くは頭を意味する言葉だったようです。そして、「かぶき」とは「頭を傾ける」という意味から、「頭を傾ける」→「そのような、常識外れで異様な行動」を表す言葉として使われるようになりました。
さらにここから意味が変化して、姿や衣装、格好が派手で普通じゃない行動をとる人のことを「かぶき者(もの)」と呼ぶようになっていったんですね。
ところで、ここまで歌舞伎について見てくると、もっと知りたくなりませんか?ってことで、次は歌舞伎をより深く知るためのおすすめ本の紹介です。
歌舞伎をもっと知りたい!おすすめの本は?
「歌舞伎入門 役者がわかる! 演目がわかる! 」
色々と調べた結果、こちらの本が最も分かりやすいですね。歌舞伎に興味を持ち始めたら、真っ先に購入すべき1冊です。大きさは、25.6cm × 18.8cm × 1.4 cmです。
カラー写真が豊富にあって大変読みやすいと思います。
また、代表的な演目や歌舞伎の基礎知識、歌舞伎役者さんの紹介等の基本的な内容の他、チケットの買い方や歌舞伎の歴史などについても紹介されていますよ。
この本は東京の歌舞伎座に売っています。勿論楽天でも購入可能ですよ。
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では、最後に今回の記事をまとめて終わりにしたいと思います。
まとめ
歌舞伎って単なる当て字かなにかと思っていました。歴史を知ってやっと意味が分かりましたね。
- 出雲阿国→女歌舞伎→若衆歌舞伎→野郎歌舞伎→歌舞伎と変遷。
- 歌舞伎の語源は「傾く(かぶく)」から。最初は「歌舞妓」と書いていた。
- 歌舞伎を勉強するには「歌舞伎入門 役者がわかる! 演目がわかる! 」がおすすめ
いかがでしたか?歌舞伎の歴史のはじまりは寄付を募るための路上パフォーマンスだったなんて、びっくりでした。これで歌舞伎を観るのが益々楽しみになってきましたね。
今回は以上となります。最後まで御覧頂き有難う御座いました。