こんにちは、大の高校野球ファンの
私自身も野球少年で、「甲子園に行けたら良いなぁ」って思いながら白球を追いかけていました。
ところで、高校野球大会ってそもそもなぜ甲子園で行われるのでしょう?普段はそこまで深くは考えずにテレビの前で応援しているのですが、今回ふと疑問に思ったんですよ。
そこでこの記事では高校野球はなぜ甲子園で行われるのかについてしっかりと解説していきたいと思います。
そしてこの疑問を調べていくうちに分かってきた、歴史的な面白話もご紹介します。
さらに合わせて、なぜ甲子園大会は春と夏の2回行われるのかや、夏の甲子園大会はドーム球場にすべきかについても触れていきますのでぜひご覧ください。
では、高校野球が甲子園で行われる理由から早速見ていきましょう。
この記事でわかること
高校野球大会が甲子園で行われる理由を知ろう!
高校野球大会がなぜ甲子園で行われるのか?それは、
- 阪急電鉄が提案したから
なんですよ。
つまり、甲子園で行われるようになった歴史に、その理由を知るヒントが隠されているようなんです。しかもここには、意外と面白い逸話が隠されていました!
先ずは高校野球が甲子園で行われるようになるまでの歴史を、一覧表にまとめてみましたので、ご覧ください。
年 | 提案者 | 主催者 | できごと |
---|---|---|---|
1915年 | 箕面有馬電気軌道(みのおありまでんききどう=阪急電鉄の前身) | 大阪朝日新聞社 | 豊中グラウンド(大阪府)で「第1回全国中等学校野球大会」開催 |
1917年 | 阪神電鉄 | 鳴尾球場(兵庫県)で「第3回全国中等学校野球大会」開催 | |
1924年 | 甲子園球場(兵庫県)で「第10回全国中等学校野球大会」開催 | ||
1925年 | 大阪毎日新聞社 | 甲子園球場で「第2回選抜中等学校野球大会」開催 |
この表から分かるポイントは、
- 最初の提案者が阪急電鉄
- その後も在阪企業により運営されてきた
ってことですね。つまり大阪の企業が、同じく大阪の企業に提案し、最初は大阪市に、その後は神戸市に球場を造って主催するようになった、という歴史があるわけです。
したがってもし、これが東京の企業による提案でスタートしていればもしかしたら、「高校野球神宮大会」や「高校野球後楽園大会」とかってなっていたかも知れないですね。
ところで、そもそも誰がなぜ関西で高校野球大会を開催しようと思ったのかを知ることが、高校野球大会が甲子園球場で開催されるようになった理由を知るためには欠かせないと思います。
そこで、「甲子園大会の父」についてご紹介させてください。(ちなみに「甲子園大会の父」は独断で名付けました^^)
阪急電鉄の前身である「箕面有馬電気軌道」の創業者。
人が住んでいない場所に鉄道を敷設し、沿線に商業施設や娯楽施設、住宅地を建設することで、人や物を呼び込むというスタイルのビジネスモデルを作り上げた。
今回調べていて「こんなすごい人がいたのか!」って思わずうなってしまったのが「小林一三さん」です。
普通は鉄道って「人がいる場所から人がいる場所」に敷くんじゃないかと思うのですが、彼はまったく逆の発想ってところがスゴイ!
なにもない所に鉄道を敷き、その沿線に人が集まるための住宅地や娯楽施設を建設していったんですね。
「第1回全国中等学校野球大会」が開催された豊中グラウンド(現在は高校野球発祥の地記念公園)も箕面有馬電気軌道が所有する球場でした。
小林一三さんは、所有していた豊中グラウンドの有効活用法として全国中等学校野球大会の開催を大阪朝日新聞社と大阪毎日新聞社に提案し、大阪朝日新聞社が提案に応じる形で、中等学校野球大会がはじまりました。
第1回と第2回は大好評だったのですが、あまりの人気に対して豊中グラウンドの観客収容能力が追い付かず、わずか2回で大会は中止になってしまったんですよ。
というのも、豊中グラウンドは「グラウンド」となっている通り、陸上競技用だったので、野球をするには狭すぎてしかも、グラウンドと観客席の仕切りはロープを張っただけだったそうなんです。
これではホームランはポンポン出るし、ボールを追いかけた選手が観客の中に突っ込んでけが人が出るしで大変でした。
こうして、第3回からは阪神電鉄が所有する鳴尾球場で開催されるようになりますが、ここでも大会の爆発的な人気に対応しきれなくなって、第10回大会から甲子園球場で開催されるようになりました。
つまり、
もともとの発案者である阪急電鉄(=在阪企業)創業者の小林一三さんが中等学校野球大会の開催を提案したってことが、高校野球大会が甲子園で行われる理由
と言えると思います。
ところでこの小林さんってさらにすごいんです!
阪急電鉄は、中等学校野球大会を阪神電鉄に譲る形となったわけですが、後にプロ野球の阪神タイガースを創設した阪神電鉄に対抗して阪急ブレーブス(現オリックス)を創設します。
しかも本拠地は甲子園球場と同じ兵庫県西宮!これには小林さんの並々ならぬ執念を感じますね。
以上、高校野球大会が甲子園で行われる理由がわかったところで、今度はどうして春と夏の2大会あるのかについて解説していきたいと思います。
甲子園はなぜ春夏2回なの?
これは、先ほどの表からも読み取れるかも知れませんが、
- 春と夏では主催者が違う
ってことが理由ですね。
先ほどご紹介した小林さんの提案に、大阪朝日新聞社が応じる形で夏の高校野球大会ははじまったのですが、同社と販売部数争いをしていた大阪毎日新聞社も、国民的人気イベントに成長した高校野球大会を主催したくなったのでしょう。
しかし、共同開催でもなく、同じ選手権形式でもない、新しいコンテンツにしたい。
ってことで思い付いたのが「春のセンバツ」だったんですね。
地方大会トーナメント方式優勝校が集まる夏の大会に対し、春の大会は選抜という形にするなんて、発想した人ってすごいと思います。
私なら勝ち抜き戦以外の形式を思い付かないですね。
ところで、夏の甲子園大会で毎年問題になるのが「酷暑」。対応法としてドーム球場開催という話も議論されているようです。
そこで次に、夏の甲子園大会をドーム開催とすることの賛否について、各方面の意見をまとめてみましたので早速ご覧ください。
夏の甲子園はドーム球場で開催すべき?
ドーム球場開催についての意見を、
- 賛成派
- 反対派
- 球児の意見
- 元野球少年の私の意見
に分けてご紹介します。最初は賛成派の意見から確認していきますね。
ドーム開催賛成派の意見は?
- 災害とも言える酷暑の中での甲子園球場開催は危険
というのがおおよその意見ですね。ここで、過去に夏の甲子園大会に起きたハプニングをいくつかご紹介します。
- 2017年夏の甲子園大会開会式では、プラカードガールが倒れるというハプニングが起きています。
- さらに、2018年夏の甲子園大会の西東京大会決勝では、154球を投げたピッチャーが試合終了後に、熱中症の症状で病院に搬送されています。
- そして同じく2018年の甲子園大会では、試合中に球審の足がつり、急遽控え審判と交代するというハプニングも発生しています。
こうしたハプニングは氷山の一角で、公表されていない事例はまだまだあると思われます。
にも関わらず甲子園で開催する必要性があるのか、という議論が巻き起こるのは当然だと思いますね。
ドーム球場開催反対派の意見は?
ドーム球場開催反対派の理由は、
- 甲子園以外では意味がない
ってことなんですよね。んー、これも分かります。
2015年に100年目を迎え、2018年には100回大会を迎えた夏の甲子園大会。
この間数々のドラマが繰り広げられ、多くのスター選手を輩出してきた甲子園でやるからこそ価値がある、ってことなんですよね。
また先にも書きましたが、小林一三さんの「全国中等学校野球大会」の提案がなければ今の甲子園大会もなかったわけで、そこからつながる伝統も守っていきたいですよね。
以上が選手以外の、第三者目線での意見です。
では、当の球児たちの意見はどうなのでしょう。その辺りも調べてみましたのでご覧ください。
高校球児や保護者の意見は?
実際にプレーをする高校球児たちや、その保護者たちはどう思っているのでしょう?以下の引用をご覧ください。
【高校1年生の現役選手】
ーー甲子園には屋根がないけど?
関係ないです。もっと熱くなれるように精一杯応援したい。ーー先輩たちの熱中症の不安は?
先輩は強いんで大丈夫。【保護者】
甲子園でやることに意義があると思うので、対策を立てながらやってほしい。【甲子園で準優勝に導いた部長】
日ごろから厳しい練習をしているので、練習より短い時間の試合で熱中症にはならないと思う。【愛工大名電出身の古茂田芳光さん】
甲子園に行きたいという気持ちでやっていたから暑さを乗り越えられた。
精神論みたいだけど、慣れたところはある。
ドーム球場でやりたい、って意見はないってのがすごい!周りの大人たちが思う以上に、選手たちには甲子園へのあこがれが強いみたいですよ。
野球をはじめる時点で、多くの選手が「野球=甲子園」と思って苦しい練習に耐え抜いてきているでしょうから、甲子園以外では意味がないって思いますよね。
これらの意見と、先ほど見てきた甲子園で開催される理由を踏まえ、野球少年だった私の意見も述べさせてもらいたいと思います。
元野球少年の私の意見
もし私がもう一度高校生に戻って野球をやれるとしたら、
- やっぱりドーム球場じゃなくて甲子園球場
を希望しますね。理由は主に次の3つ。
- 今日につながる国民的スポーツの礎を築いてくれた小林一三さんへの敬意。
- ドーム球場だと興行的要素を感じてしまう。
- 100年の伝統の重み。
これらのことを考えるとやはり甲子園球場以外ではやりたくないですね。意味がないって感じます。
かと言ってやはり暑いですよね。
ですから、たとえば朝早くから開始して、酷暑になってWGBT(暑さ指数)が31を超えたら一旦中断して、気温が下がってきてからナイターも含めて再開するなど、あらゆる対策を実施する必要性はあると思います。
では最後に今回の記事をおさらいしておきましょう。
まとめ
今回は高校野球が甲子園で行われる理由が分かってスッキリしました。そして意外にもそれは阪急電鉄創業者の小林一三という人物に由来することが分かりました。
100年大会、100回大会と歴史を重ねてきた陰には、一人の実業家の、他とは違う発想が隠されていたことを知り、大変感銘を受けました。
やはり高校野球は甲子園だと思います。
- 高校野球が甲子園で行われる理由は、阪急電鉄創業者の小林一三さんが提案したことに由来している。
- 甲子園大会が春夏2回行われる理由は、主催者がそれぞれ違うことに由来している。
- 実際にプレーする球児たちは、夏の大会もドーム球場ではなく、甲子園球場でやりたいと思っている。
今回は以上となります。最後までご覧いただき、ありがとうございました。