こんにちは、Isajiです。
野球大好きで、子供の頃は甲子園を目指していた私にとって、高校野球はいくつになっても毎年の楽しみの一つです。
ところで、甲子園大会と言えば開会式で必ず行われるのが選手宣誓ですよね。
「宣誓~!われわれ選手一同は~、スポーツマンシップにのっとり、・・・」で始まるアレですね!最近はオリジナルな宣誓が行われるようになり、個性的、感動的な名言も生まれています。
そこで今回は、甲子園大会の選手宣誓をする選手の決め方から、私が個人的に感動した名言について書いていきたいと思います。
また合わせて、甲子園で選手宣誓を経験した選手の中で、その後プロ野球に進んだ人についても調べてみましたので、ぜひご覧ください。
では最初に、選手宣誓をする人の決め方について見ていきます。
この記事でわかること
甲子園の選手宣誓をする人ってどうやって決めるの?
選手宣誓をする人の決め方は春と夏では少しだけ違います。先ずは表にまとめてみましたので、そちらからご覧ください。
大会 | 決め方 |
---|---|
春のセンバツ | 全出場校の主将によるくじ引き |
夏の選手権 | 立候補した主将によるくじ引き |
それではそれぞれ詳しく見ていきましょう。先ずは春のセンバツから。
春のセンバツの決め方
シンプルに「くじ引き」なんですね。しかも全校参加。名誉なことなのでやりたい主将ばかりでしょが、中には棄権したい主将もいるのではないでしょうか?
ちなみに私だったら、正直に言うと「外れてくれ。」って思いながらくじ引きしますね。ってかその前に、主将にならないといけないので、そこが最初の難関だったりします^^;
全出場校の主将によるくじ引きで決めることになっていますが、調べたところ過去に一度だけ例外がありました。その話題にも触れておきましょう。
例外もありました!
私はこの話を知って感動したのですが、例外とは、
- 第83回大会(2011年)創志学園(岡山)
です。
この年の3月11日に「東日本大震災」が発生しました。そして春のセンバツの開幕は3月23日だったんです。
震災発生からわずか約2週間後の開幕ということで、被災地域にある高校は組み合わせ抽選会に参加できなかったんですよ。
選手宣誓のくじ引きは、組み合わせ抽選会の日に行われますが、全出場校の主将がそろわないってことで、高野連の奥島会長(当時)がくじ引きを行いました。
こんな所にもフェアプレー精神が生きているんだなって関心しました。
主将全員が集まらなくても代理人を立てれば良いじゃん、って私なら思ってしまいますが、選手自身にくじを引いてもらうことに意義がありますもんね。
全主将がくじ引きできないなら、全校同じ条件になる方法=高野連会長が引く、なるほどです!
では次に、夏の選手権の選手宣誓の決め方も見ておきましょう。
夏の選手権の決め方
夏の選手権は、全出場校の主将によるくじ引きではなく、希望する主将に立候補してもらって、立候補者がくじ引きをする方式を採用しています。
しかしこの方式となったのは、第83回大会(2001年)からなんです。では、それ以前はどのような方式だったのでしょう?それを簡単に確認しておきます。
第83回大会以前の決め方は?
2000年の大会までは、本抽選のくじ引きの順番を決めるための予備抽選で1番くじを引いた主将が、選手宣誓をしていました。
ちなみに、予備抽選の順番は抽選会場に入ってきた順番だったそうです。
この方式からなぜ立候補制に変更されたのかは、調べてみたのですが不明でした。
なお、こちらもやはり過去に例外がありました。
夏の決め方にも例外があった!
調べた限りでは過去2回、例外がありました。それは、
- 第54回大会(1972年)名護高校
- 第97回大会(2015年)鳥羽高校
です。順番に確認しておきましょう。
第54回大会(1972年)名護高校
1972年の5月に沖縄県が日本に返還され、第54回大会は復帰後最初の大会でした。
そのため、南九州代表となった沖縄の名護高校主将が特別に選手宣誓の指名を受けたんですよ。
当時の南九州大会は宮崎県と沖縄県両県の代表を決める大会ですから、そこで名護高校が優勝し、甲子園出場を果たすというのは、歴史のめぐりあわせみたいなものを感じますよね。
続いて第97回を見てみましょう。
第97回大会(2015年)鳥羽高校
この年は、1915年に第1回が開催されてからちょうど100年目という節目の年でした。
そこで主催者側の提案で、第1回大会で優勝した京都二中を前身とする鳥羽高校の主将が、特別に指名を受けました。
しかし、これってすごくないですか!
第1回大会の優勝校を全身とする高校が、記念すべき100年目の大会にも出場するなんて!これも歴史のめぐりあわせなんでしょうねぇ。
ここでちょっと豆知識を一つご紹介します。
本来なら1915年が第1回ですから、100年目の2015年は第101回になるはずですよね。しかし実際は第97回。なぜなのでしょう?
答えは「戦争による中止と中断」なんです。
- 1941年→第27回大会が県大会の途中で、戦況悪化のため中止。
- 1942年~1945年→戦争のために中断。
- 1946年→第28回開催により再開。
長い高校野球甲子園大会の歴史には、こうした時代もあったんですね。現在の平和な日本があるのは先人のお陰であることに改めて感謝したいと思います。
以上が高校野球甲子園大会の選手宣誓をする選手の決め方と、その例外についての解説でした。
ところで、私が子供の頃の選手宣誓といえば冒頭でも書きましたが、「宣誓~!われわれ選手一同は~」のような決まりきったセリフが普通でした。
ところが、1984年の夏の選手権大会から、主将自身の言葉で宣誓が行われるようになりましたね。
これによりかずかずの名言が生まれています。
そこで次の章では、私が個人的に感動した名言をご紹介したいと思いますので、引き続きお付き合いください。
私が感動した名言ベスト3!
私が調べて、内容を見てとっても感動した名言を3つ選んでみました。マイベスト3は次の通りです。
- 【1】第83回 春のセンバツ(2011年)創志学園 野山慎介主将
- 【2】第84回 春のセンバツ(2012年)石巻工業高校 阿部翔人主将
- 【3】第97回 夏の選手権大会(2015年)鳥羽高校 梅谷成悟主将
では順番にご紹介していきましょう。
【1】第83回 春のセンバツ(2011年)創志学園 野山慎介主将
先ほども書きましたが、この年は通常の抽選会とは違って高野連会長による抽選で選手宣誓をする選手が選ばれました。
先ずはその全文をご覧ください。
宣誓。私たちは16年前、阪神淡路大震災の年に生まれました。
今 東日本大震災で多くの貴い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。
被災地ではすべての方が一丸となり、仲間とともにがんばっておられます。人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています。
私たちに今できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。
がんばろう 日本。生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。
引用元; 第83回(2011年3月23日) 選抜高等学校野球大会 創志学園(岡山) 野山慎介主将の選手宣誓全文
東日本大震災のこの年は開催自体が危ぶまれましたが、無事開催できてホッとしました。
復興に向けて進みはじめたばかりの被災地に、元気を届ける野山主将の宣誓の言葉。なかでも「生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーする」って部分がジ~ンときました。命があることの有難さ、周りに助けられて生きていることを改めて思い返しました。
今を精一杯生きることの大切さを感じた宣誓でした。
続いて第2位です。
【2】第84回 春のセンバツ(2012年)石巻工業高校 阿部翔人主将
こちらは東日本大震災の翌年のセンバツでの宣誓文になります。
宣誓。東日本大震災から1年。日本は復興の真っ最中です。
被災された方々の中には、苦しくて心の整理のつかない方、今も当時のことや亡くなられた方を忘れられず悲しみに暮れている方々がたくさんいます。
人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは苦しくて辛いことです。しかし日本がひとつになり、この苦難を乗り越えることができれば、その先に大きな幸せが待っていると信じています。
だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔。見せましょう、日本の底力、絆を。
われわれ高校球児にできること。それは全力で戦い抜き、最後まであきらめないことです。
今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。
引用元; 第84回(2012年)選抜高校野球大会 石巻工業高校(宮城県)阿部翔人主将の選手宣誓全文
東日本大震災の翌年ということで、やはり被災地に送る内容となっていますね。
「野球ができることに感謝し」
この言葉が特に響きました。社会人に置き換えると「働けることに感謝し」となると思いますが、ホントそうですよね。
震災は他人事ではなく、いつ自分が同じ立場に立たされるかわからないですからねぇ。そう思うと仕事ができるってありがたいことだなぁって実感した宣誓でした。
聴いていて涙が出そうでした。
次は第3位になります。
【3】第97回 夏の選手権大会(2015年)鳥羽高校 梅谷成悟主将
こちらは記念すべき100年目の夏の選手権大会の宣誓です。
宣誓。1915年8月、第1回全国中等学校優勝野球大会が始まりました。それから100年間、高校野球は日本の歴史とともに歩んできました。この100年、日本は激動と困難を乗り越えて今日の平和を成し遂げました。
このような節目の年に、聖地甲子園で野球ができることを誇りに思い、そして支えていただいたすべての方々に感謝し、全力でプレーをします。
次の100年を担うものとして、8月6日の意味を深く胸に刻み甲子園で躍動することを誓います。
引用元; 第97回(2015年) 全国高等学校野球選手権大会 鳥羽高校(京都)梅谷成悟主将の選手宣誓全文
こちらは100年という歴史の重みと、先人への感謝の気持ちがにじみ出る宣誓だったと思いますね。
特に「この100年、日本は激動と困難を乗り越えて今日の平和を成し遂げました」と「支えていただいたすべての方々に感謝」の2つの言葉が特に印象に残りました。
100年間の日本の歴史を支えてきた先人の苦労と、今自分たちを支えてくれている人たちへの感謝を忘れずに、次の時代へと日本の歴史をつなげていかねば、って思いました。
以上、独断で選んだ選手宣誓マイベスト3をご紹介しました。
しかし皆さん、高校生とは思えない素晴らしい文章と、あとは堂々とした選手宣誓ですよね。すごいと思います。
では最後におまけ情報をお伝えします。
甲子園で選手宣誓をしてプロ野球選手になった人は?
甲子園で選手宣誓をした人の中で、プロ野球選手になった人っているのでしょうか?
そんなことをふと疑問に思ったので早速調べてみました。主な結果は次の通りです。
選手名 | 大会 | 高校 | プロ野球球団名 |
---|---|---|---|
豊田泰光 | 1952年 夏 | 水戸商業(茨城) | 西鉄ライオンズ |
平田勝男 | 1977年 夏 | 海星高校(長崎) | 阪神タイガース |
小山良男 | 1998年 夏 | 横浜高校(神奈川) | 中日ドラゴンズ |
西田明央 | 2010年 春 | 北照高校(北海道) | ヤクルトスワローズ |
下妻貴寛 | 2012年 夏 | 酒田南高校(山形) | 東北楽天イーグルス |
このなかで特に「縁の不思議さ」を感じたのが、楽天に入団した下妻貴寛選手ですね。
彼が選手宣誓した2012年夏というのは、東日本大震災から1年5ヶ月めの時。
この時、選手宣誓のくじを引くだけでもすごいのに、さらにプロ野球のドラフトで、交渉権獲得のくじを引いたのが東北楽天イーグルスですからねぇ!
下妻選手にはなんとしてもレギュラーを獲得して欲しいと思っています。
では、最後にまとめをご覧ください。
まとめ
いかがでしたか?甲子園の選手宣誓をする選手の決め方って、くじ引きだろうとは思っていましたが、春と夏とでは微妙に違っていましたね。
夏は立候補制になっていますが、宣誓文を考えたり練習したりする時間が必要で、その分本来の野球の練習ができなかったり大きなプレッシャーを感じたりすることから、出場校の主将全員が立候補するわけではないようです。
全国ネットで生中継されることや、甲子園の大観衆の前で一身に注目を集めることを考えるとやはり私には無理かなぁ(^-^;
- 春のセンバツで選手宣誓する選手は、全校参加のくじ引きで決める。
- 夏の選手権大会で選手宣誓する選手は、立候補した主将たちによるくじ引きで決める。
- 私が感動した選手宣誓の名言・1位は、第83回 春のセンバツ(2011年)創志学園 野山慎介主将の「生かされている命に感謝」という言葉。
- 甲子園で選手宣誓をして、その後プロ野球選手になったのは主に5人。
大会のはじまりを告げる選手宣誓。大役を任された選手には堂々と自分の言葉で思いを伝えて欲しいですね。ガンバレ!
今回は以上となります。最後までご覧いただき、ありがとうございました。